母とわたしの関係は、親子っぽくはなかったと思う。
いいえ、だからといって、友達風でもなく、どちらというと、見張り役と犯人。(苦笑)
とにかくわたしは幼い頃から手癖が悪かったから
見張られても仕方のないことだったのかもしれないな。。
母にとっては商家の長男(9歳歳上)に嫁ぎ、そこでの初めての子供がわたしだったわけだから
過度の緊張の毎日だったんだろう。
不思議なことにわたしは3歳頃の自分の記憶が一部、ある。
歌っている自分がいて、それに拍手してくれている大人たち。
自分が褒められる=母の功績 という図式をその頃に感じていた。
母は祖父母らにとても気遣いしていた女だったとおもう。
でもその反面、わたしがいけないことをすると、
「これはおばあちゃんたちにばれないように」とそういう言葉で釘をさされた。
そういう壁が軋轢に思えてきたのは5歳の頃のわたし。
そう、妹が生まれてから母は変わった。
ある時、2階で父と母が口論していた。
階段の下で耳をすませていたわたしはその一部始終を聞き漏らさなかった。
母は、「H恵は小○原の長女だから置いていくとしても、R子(妹)は連れて行く」
そう、父に言っていた。
その時の父の声が曇ったのは、次女を持っていかれてしまうという危惧からのものではなく
このわたしを置いて行かれてしまう、という「さて、困ったぞ」という曇りと察した。
母に捨てられる・・・
常にその恐怖感があった。
ちょっとの買い物に出かける母をも追った。
でも常に忙しそうな母には軽くいなされた。
母の胸に抱かれる妹が憎くてどうしようもなかった。
母の乳房に触れた。
母はわたしの手を払った。
その瞬間、あ、嫌われた、と思った。
もうわたしに行き場はなかった。
祖母に甘えた。
祖母はやさしかった。
祖母の乳房に触れた。
祖母は笑って許してくれたが、祖母のそれは母のそれとは異なっていた。
なにかが合点がいかず、
ある日、居間のロッキングチェアーに憩う祖母の髪を後ろからひっぱった。
祖母は雷を落とすかの勢いでわたしを叱った。
そしてお尻にお灸をすえられた。
それでもわたしは合点がいかなかった。
だっこされたかった。
20歳も過ぎて×1になったわたしが実家に戻っていた時期がある。
その頃は某精神病院を退院した直後でもあり、薬の副作用も続いておりしんどかった。
父と母は1階と2階に離れて就寝していた。
わたしは母と妹と3人で寝た。
その頃の母は忙しく、店が終ると自分の洋裁の仕事と言っては毎晩のように出かけていた。
わたしは淋しかった。
妹はわたしとは違い、出来がよかったから短大に進んでいたし
皆、忙しかったのだ。
解っていたのだ。
でも、20歳もすぎたこのわたしが母に隣で寝て欲しかった。
しかし、あるとき、バカにされた。
過去の一切合財が戻ってきた。
口の中がパセリを噛んだときのようににがくなり、
もうここにはいられないんだ・・と、感じた。
甘えたかった。
ただそれだけなのに。
でも、今になると思う、あの母も
あの母のきっと甘え方を知らない人だったんだろうな、と。
だから甘えてこられても、わからなかったのかもしれない。
もっと話したかった。
子供の頃には無理だったとしてもあの20歳の頃のわたしは
そう、今のわたしぐらいの年齢の母とあの時、もっとちゃんと話したかったんだ。