カテゴリ:@母との関係( 4 )
ふたつの顔
母は、ほんとうに気の毒な女だったと思う。
プライドだけが高いケチな商家の長男に嫁ぎ
舅、姑、そして小姑、

今のわたしだったら当然、早くにねをあげて蒸発しちゃっただろう。

そんな母があそこで生きるべく身に付けたふたつの顔。二面性。
それをわたしは幼い頃から既に見逃さなかった。

祖父母の前での母と、
わたしと二人だけの時の母は大きく違っていた。

祖父母の前での母は、常に遠慮が先立っていたから
娘のわたしに対しても同様だった。
だからわたしは祖母の元で過ごす時間が好きだった。

でもこれ、
母からすれば
なんとも疎ましい行為をする娘に思えてたであろう。
だから、
二人だけの時間になった時、
母がもう一つの顔を出すのも仕方のないことだったんだと、今ではそう思う。


わたしがあの頃
もっと母の様子を思いやれる子だったら、
母の不幸はもうすこし、軽くなっていたかもしれない。
ごめんね・・


あの頃のわたしといえば、
脈略のない嘘ばかりつく、手癖の悪い子供だったね。

「ごめんなさい」が言えない、子供だったよ。

だって、言いたくなかったんだ、あの時は。
ほんとうに「悪かったなぁ」って思えなかったんだ。
だから言えなかった。


今のわたしならば言っちゃうけどね。
その場がうまく収まれば、という思いで、容易く言っちゃえるけどね。


言えばよかったのかな。
言える子だったら、よかったのかな。




今となると、よくわかんないよ・・・
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by 001_Thief | 2004-09-30 00:09 | @母との関係
うちの子に限って・・
わたしの最も憧れとする言葉・・
それは、「うちの子に限って・・」


わたしの記憶の中に、母の口からこの言葉を聞いたことは一度も無い。
まぁ、そんな娘だったのだから仕方がないんだけど、
せめて最初の一回目の時にはそう言ってほしかった。

信じてもらえているんだ、という確信が、今まで生きてきて
母親を始めとして他の人、友人、そして恋人、伴侶、全ての相手から感じ得たことが、ない。

だからいつも叫んでた。
心の中で。
こんなわたしを信じて、と。

でももうそんな時も終った。
今ではそんな自分を客観視している自分がいる。
そしてその自分もあの自分を信じてはいない。




例えば盗み。
うちの子がやったんだな、と思っても
一度は子の前で「この子に限って、そんなことするはずがない」と
口に出して聞かせてやってほしい。
これから子育てをする方へのおねがい。
こんなわたしのようなロクデナシを作らない為に。



いいえ、わたしは甘えている。
この期に及んでまだ甘えている。
自分の罪をまず認めて謝罪し、社会復帰の方向に前進すべき、というのが先だろう?
そう言ってくれなかったからだ、と親のせいにして何を甘えているんだ?!


いいえ、甘えたことなど一度もありませんでした。
なぜならわたしは、甘え方を知りません。
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by 001_Thief | 2004-08-23 17:14 | @母との関係
息子のこと
わたしには、生きていれば22になっているはずの息子がいる。
かなり若くして産んだわたしの子ども。

そんな子どもをわたしは手放した。
一生懸命やったんだ。
未熟児で産まれてきた子だったから
退院後は人一倍がんばったんだ。

そんな糸が切れるのがこんなにも容易いことだったなんて、
わたしは未だにこの自分が哺乳類だという実感を味わえてはいない。
母の胸に顔をうずめて眠りたかったけれど
この胸に顔をうずめて寝かせてあげたかったけれど
その双方共にわたしには無理なことだった。

なんでだろう・・・
今は未だ
そこまでの細部に渡って書けるだけの気力が無い。
いつになったら棚卸しできるんだろうか。。 。




今年になってからの出来事だったんだけど、
ある視聴者参加型のテレビ番組を観ていたら
21歳の男性が映った。
その奥さんと一緒に、出ていた。
名前が、
名前がわたしがあの子につけた名前と同じだった。
そして年齢。

顔が、
顔が驚くことに、別れた最初の亭主に瓜二つだった。
そして眉毛のあたり、
わたしに似て見えた。

彼曰く、
婿養子に入ったらしい。
苗字は違っていた。

もしや、彼は・・・、と胸騒ぎがした。
調べて貰おうと思えばできないこともなかった。
でもわたしはそれをしなかった。


気のせいなのか、
妄想なのか
そう、悪い方向に思いたかった。

やっぱりわたしは人間じゃない。
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by 001_Thief | 2004-08-11 23:04 | @母との関係
記憶の中のひずみ

母とわたしの関係は、親子っぽくはなかったと思う。
いいえ、だからといって、友達風でもなく、どちらというと、見張り役と犯人。(苦笑)

とにかくわたしは幼い頃から手癖が悪かったから
見張られても仕方のないことだったのかもしれないな。。
母にとっては商家の長男(9歳歳上)に嫁ぎ、そこでの初めての子供がわたしだったわけだから
過度の緊張の毎日だったんだろう。
不思議なことにわたしは3歳頃の自分の記憶が一部、ある。
歌っている自分がいて、それに拍手してくれている大人たち。
自分が褒められる=母の功績 という図式をその頃に感じていた。
母は祖父母らにとても気遣いしていた女だったとおもう。
でもその反面、わたしがいけないことをすると、
「これはおばあちゃんたちにばれないように」とそういう言葉で釘をさされた。
そういう壁が軋轢に思えてきたのは5歳の頃のわたし。

そう、妹が生まれてから母は変わった。
ある時、2階で父と母が口論していた。
階段の下で耳をすませていたわたしはその一部始終を聞き漏らさなかった。
母は、「H恵は小○原の長女だから置いていくとしても、R子(妹)は連れて行く」

そう、父に言っていた。
その時の父の声が曇ったのは、次女を持っていかれてしまうという危惧からのものではなく
このわたしを置いて行かれてしまう、という「さて、困ったぞ」という曇りと察した。

母に捨てられる・・・

常にその恐怖感があった。

ちょっとの買い物に出かける母をも追った。
でも常に忙しそうな母には軽くいなされた。
母の胸に抱かれる妹が憎くてどうしようもなかった。
母の乳房に触れた。
母はわたしの手を払った。
その瞬間、あ、嫌われた、と思った。

もうわたしに行き場はなかった。
祖母に甘えた。
祖母はやさしかった。
祖母の乳房に触れた。
祖母は笑って許してくれたが、祖母のそれは母のそれとは異なっていた。
なにかが合点がいかず、
ある日、居間のロッキングチェアーに憩う祖母の髪を後ろからひっぱった。
祖母は雷を落とすかの勢いでわたしを叱った。
そしてお尻にお灸をすえられた。

それでもわたしは合点がいかなかった。
だっこされたかった。


20歳も過ぎて×1になったわたしが実家に戻っていた時期がある。
その頃は某精神病院を退院した直後でもあり、薬の副作用も続いておりしんどかった。

父と母は1階と2階に離れて就寝していた。
わたしは母と妹と3人で寝た。
その頃の母は忙しく、店が終ると自分の洋裁の仕事と言っては毎晩のように出かけていた。
わたしは淋しかった。
妹はわたしとは違い、出来がよかったから短大に進んでいたし
皆、忙しかったのだ。
解っていたのだ。
でも、20歳もすぎたこのわたしが母に隣で寝て欲しかった。
しかし、あるとき、バカにされた。
過去の一切合財が戻ってきた。
口の中がパセリを噛んだときのようににがくなり、
もうここにはいられないんだ・・と、感じた。


甘えたかった。
ただそれだけなのに。

でも、今になると思う、あの母も
あの母のきっと甘え方を知らない人だったんだろうな、と。
だから甘えてこられても、わからなかったのかもしれない。
もっと話したかった。
子供の頃には無理だったとしてもあの20歳の頃のわたしは
そう、今のわたしぐらいの年齢の母とあの時、もっとちゃんと話したかったんだ。
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by 001_Thief | 2004-07-15 22:41 | @母との関係