<   2004年 07月 ( 7 )   > この月の画像一覧
ピンサロ嬢なのに・・・

当時わたしは28になろうとしていた。
そして2度目の結婚をしていた。
いつもの虫というか癖というか、旦那にないしょの借金を作り
一度しか着ないような服を買い込んだり高価なアクセサリーを買った。

今、思うと、「買うために借金をしてた」んじゃなく
「借金してお金ができたから買ってきた」という感じだった。変だった。
毎月の返済に行き詰まり、わたしは逃げることにした。無責任極まりない。

でも、見つかり、親に弁済して貰い
その返済の為、近所のスナック勤めを始めた。
そこで知り合った客の男。
はまってしまった。

ほどなくわたしは離婚した。
旦那への手前がなくなり、わたしの節操はどんどんなくなっていった。
でも生活はしていかなけりゃならない。
わたしは隣町の繁華街に仕事場を見つけた。

久々のピンクサロン勤めだった。
もう28にもなる女だけど、その街ではそんな年齢でも「若い子」の部類に入ってて
おかげで稼げた。
スナックは辞めていたけど客の彼とは逢っていた。


その彼にわたしは、某病院勤務であると嘘をついていた。
彼はわたしがピンサロ嬢やってるとは気がつかなかったとおもう。
もしかしたら、最後まで気がつかなかったのかもしれない、
いや、そもそもそんなことには関心がなかったんだろうな・・・


わたしは彼とラブホで逢う時
「いっしょにお風呂に入ろう」という彼の言葉に従えなかった。
ピンサロ勤務だったけど、その前、わたしはソープ勤務も経ている。
男性とお風呂なんて当然のことなはずなのに
好きな相手を前にわたしはそれにひどく躊躇した。

きっと、妙な女に映っていたことだろう・・
風呂を一緒に・・は嫌がるのに、ベッドではすすんでフェラる女。



ある時からわたしは彼とお風呂に一緒に入れるようになった。
その頃からすこしずつすこしずつ、なにかが崩れていったように思える・・・
[PR]
by 001_Thief | 2004-07-27 11:36 | @男との関係
依存症

sex では埋められなかった、からっぽの穴・・・でも記しましたが、

わたし、碌な男性関係、経てきてはいません。
自分の価値を、sexすることでした感じられなかった。
いや、今でも多少そういうところはあります。

sexをしてわたしのカラダに、そしてわたしとのsexにお金が払われる、ということが
唯一、自分の価値を安堵して受け止められる瞬間だ、なんて、誰にも言えない。

だから水商売してたうち、風俗店での勤めの方がわたし、長かった。
短時間で多くの男性から喜ばれ、毎日、終業時には前日の給料が手渡し。
そんな精神的に満たされる職場は他になかったから。


結婚も失敗しました。
それもこれも、元を辿ればわたしのsex依存症のせい。
「さみしいから・・」がわたしの言い訳だった。

当時、手当たり次第にテレクラにかけまくって、やりまくってた。
ただし、必ずお金はもらってた。
お金に困って、という時は一度もなかったと思う。
裕福ではないにせよ、ほどほどのお金は持っていた。
でも、このわたしに値段をつけて欲しかったのだ。

最低なわたしは、ある夜、
いつも馴染みで行くスナックの常連客の一人と寝た。
もうその頃のわたしは、見境を失ってた。
知人とそうなることが、自分の世界を狭めるということ、
自分の首を自分で絞める行為なんだということ、その時は解らなかった。

相手もそうとう呑んでたし、
わたしは当時の自分のアパートに彼を誘った。
ひとしきりの事が終って、
彼は帰り支度を始めてた。
ヘタなsexだった。
わたしはそもそも濡れ性なのにもかかわらず、
その男のタッチは荒々しいだけで痛みさえ伴っていた。

その証に、
バージンでも生理でもないのに、シーツに血痕がついていた。

ひどく惨めな気分だった。
酔いはその頃には覚めていた。

わたしは彼に言ったと思う。「いくらかもらえないかな?」・・・みたいなことを。。

彼は一瞬、びっくりした顔をした。
いつも馴染みのスナックでカラオケしたりしてた20歳の娘さんが
酔った勢いで自分のアパートに連れ込んだ挙句、金よこせ、だもんねぇ・・・(苦笑


彼は
「今、手持ちのお金がそんなにないんだ、ほら、」

と、言って、確かわたしに財布を広げて見せたと思う。
その時の彼の財布の皮の匂いが、今でも鼻先に残っています。

1000円札が3枚入っていた。
わたしは、
「じゃあ、2000円でいい」

そう言ったと思う。


相手はますます驚いた顔をして、わたしを哀れむような顔をした。
でも、しっかり2000円を置いて帰って行った。

わたしは20歳当時に
2000円でカラダを売った女なんです・・・。



sexに限らず、わたしは人間に依存しているんだ、ということに気づきました。
関係依存、
その名前をある医師から聞いたとき、一瞬は認めることを強く拒否しました。
そのうち、
物質依存、も起きてきて
もう、行き場がどこにもない自分が居ました。

幸い、アルコールに関しての依存は出なかったものの、
鎮痛剤依存に陥るはめになり、
精神科に5ヶ月の入院後、AAにも通いました。


最近は・・・
抑えている自分と理性を保っている自分、暴走しそうな自分を客観視している自分が居ます。
これを医者の前で言うと、解離症状が出てますね、と言われて入院を勧められてしまいがちである。

そんなことも考えつつ日々、暮らしています。

拒否反応として、体中に出てしまうジンマシン。発熱。
精神の不安定さが身体症状となって出てきてしまう。
もう若い小娘なわけでもないのに、わたし、なんでいつまでもこうなんだろう・・・

自己嫌悪です。
[PR]
by 001_Thief | 2004-07-21 16:42 | @男との関係
「足りる」ということ

わたしの生家は、裕福ではなかったけど、特に激に貧しいというわけではなかったと思う。
でも、祖母も父母も、いわゆる見栄っ張りだったから(苦笑

毎年、この季節が来るとわたしは口の中が苦くなる。
そう、思い出すのだ。
親戚、いとこが集まる夏休み。

父方のいとことのつきあい方と、母方のいとことの付き合い方は微妙に違っていた。
それは教えられずとも、幼いながらに肌で感じて悟っていた。
父は長男だったので、我が家に父の妹2人が子供を連れて帰省して来る。

彼らが来ると、お寿司をとった。
でも同じテーブルでそれを囲むことはなく、
彼らに出した残りをわたしたちいつものお膳に祖母が持ってきた。
「早く食べちゃいなさい」

わたしは、箸をつけることができなかった。
祖母や父母に見栄があるように、わたしにもプライドはあった。
残飯処理のような感じがして、それを促す祖母の神経もその時は疑った。
単に
いつもは食べられないいいネタのお寿司だし、
時間がたつといたむから、早く頂いちゃいなさい、という意味なんだろう。


わたしは、「食」というものに関して今、ひどく貪欲である。
スーパーに買い物に行って、あれもこれもとカゴ一杯に買いこんでしまう。
いつも後悔する。
でも・・・
冷蔵庫に食べ物が一杯に満たされていないと
心が空虚な気分になってしまって、落ち着かないのである・・・。



「足りる」ということを知りたい。
一時は金利のつくお金を借金してまで、食費に当ててしまっていた時期がある。
これはもう15年近くも前のことになるが。


この夏休みの時期、
わたしはいつも憂鬱になる。
[PR]
by 001_Thief | 2004-07-21 10:25 | @親戚との関係
sex では埋められなかった、からっぽの穴

17で男性を知ってからこの歳になるまで、わたしの薄っぺらい男性観は変わりなし。
18で家を出てすぐにピンサロ業界に足を入れたこともわたしには抵抗はなかった。
毎夜毎夜、酔っ払いに乳を揉まれたり吸われたり、歯型をつけられたり
あそこから血が出るまでいぢられたり、そんな夜でも苦にはならなかった。

誰かに求められている、必要とされている、
ましてお金を払ってでもこんなわたしを指名して会いに来てくれる、
そういう感覚は、喜びのほかなにものでもなかった。

お店の課長的立場の男性と関係を持ち、
そのまま店の寮から彼のアパートに引越した。
当時、わたし18。彼は38だった。
背が小さく、わたしとほとんど変わりのない、靴をはくとわたしより小さかった男性。
外見的にいい男でもなければ小金を持っている男でもなかった。
じゃあ、sexが抜群に良いのか、というと、そうでもなかった、と思う。

なんだったんだろう・・
あの時期のわたしは穴を埋める作業に夢中だったのかもしれない。
すぐに妊娠。
一度はおろした。
そしてまたすぐに妊娠。
今、思えば大バカな行為なのだが、当時はそれがいっぱいいっぱいだったんだろうな。


おなかがだんだん大きくなってきてた時期
わたしは、初体験の男のことをよく考えていた。
特に好きな男でもなかったけど、唯一の救いは、彼にとってこのわたしなんかが
好きな女、という扱いだったこと。

求められてのことだった。
中学時代には交換日記もした人だった。
でもいかにせん、わたしはまだ青過ぎた。
今のわたしの精神が当時のわたしにもしあれば、
n君とももう少し、いい思い出が作れたのかもしれないのに・・・


その後、大学生と初めてラブホに行った時のこと、
何故か母親に知れていた。
どういうルートでそこまでの素行が判るのか、今もってそれは解らない。
性に関する思い出は、後ろめたさしかない。
[PR]
by 001_Thief | 2004-07-16 16:13 | @男との関係
記憶の中のひずみ

母とわたしの関係は、親子っぽくはなかったと思う。
いいえ、だからといって、友達風でもなく、どちらというと、見張り役と犯人。(苦笑)

とにかくわたしは幼い頃から手癖が悪かったから
見張られても仕方のないことだったのかもしれないな。。
母にとっては商家の長男(9歳歳上)に嫁ぎ、そこでの初めての子供がわたしだったわけだから
過度の緊張の毎日だったんだろう。
不思議なことにわたしは3歳頃の自分の記憶が一部、ある。
歌っている自分がいて、それに拍手してくれている大人たち。
自分が褒められる=母の功績 という図式をその頃に感じていた。
母は祖父母らにとても気遣いしていた女だったとおもう。
でもその反面、わたしがいけないことをすると、
「これはおばあちゃんたちにばれないように」とそういう言葉で釘をさされた。
そういう壁が軋轢に思えてきたのは5歳の頃のわたし。

そう、妹が生まれてから母は変わった。
ある時、2階で父と母が口論していた。
階段の下で耳をすませていたわたしはその一部始終を聞き漏らさなかった。
母は、「H恵は小○原の長女だから置いていくとしても、R子(妹)は連れて行く」

そう、父に言っていた。
その時の父の声が曇ったのは、次女を持っていかれてしまうという危惧からのものではなく
このわたしを置いて行かれてしまう、という「さて、困ったぞ」という曇りと察した。

母に捨てられる・・・

常にその恐怖感があった。

ちょっとの買い物に出かける母をも追った。
でも常に忙しそうな母には軽くいなされた。
母の胸に抱かれる妹が憎くてどうしようもなかった。
母の乳房に触れた。
母はわたしの手を払った。
その瞬間、あ、嫌われた、と思った。

もうわたしに行き場はなかった。
祖母に甘えた。
祖母はやさしかった。
祖母の乳房に触れた。
祖母は笑って許してくれたが、祖母のそれは母のそれとは異なっていた。
なにかが合点がいかず、
ある日、居間のロッキングチェアーに憩う祖母の髪を後ろからひっぱった。
祖母は雷を落とすかの勢いでわたしを叱った。
そしてお尻にお灸をすえられた。

それでもわたしは合点がいかなかった。
だっこされたかった。


20歳も過ぎて×1になったわたしが実家に戻っていた時期がある。
その頃は某精神病院を退院した直後でもあり、薬の副作用も続いておりしんどかった。

父と母は1階と2階に離れて就寝していた。
わたしは母と妹と3人で寝た。
その頃の母は忙しく、店が終ると自分の洋裁の仕事と言っては毎晩のように出かけていた。
わたしは淋しかった。
妹はわたしとは違い、出来がよかったから短大に進んでいたし
皆、忙しかったのだ。
解っていたのだ。
でも、20歳もすぎたこのわたしが母に隣で寝て欲しかった。
しかし、あるとき、バカにされた。
過去の一切合財が戻ってきた。
口の中がパセリを噛んだときのようににがくなり、
もうここにはいられないんだ・・と、感じた。


甘えたかった。
ただそれだけなのに。

でも、今になると思う、あの母も
あの母のきっと甘え方を知らない人だったんだろうな、と。
だから甘えてこられても、わからなかったのかもしれない。
もっと話したかった。
子供の頃には無理だったとしてもあの20歳の頃のわたしは
そう、今のわたしぐらいの年齢の母とあの時、もっとちゃんと話したかったんだ。
[PR]
by 001_Thief | 2004-07-15 22:41 | @母との関係
現在の暮らしについて

29の暮れ、またとんずらを思い立ち明けて正月、わたしは再度の流れ者のなりました。
そうなったのはもう何度目だっただろうか。
ある街で寮付きのピンサロに居場所を見つけ(それもいつものことです)
そこに通ってくる客の男と知り合いその年の7月13日から一緒に暮らしています。

その日を機会に店を辞め、今は専業主婦顔、演じつつ
もろもろの我慢も押し殺しつつも生きています。
若い時ならとっくにどこか違う場所を探して出ていたことでしょう。
でもわたしは既に歳をとってしまった。
財産もなく器量もない、そんな老けた女の潜伏地。

現在そういう経緯で自分の住所にわたしを置いてくれている男性は
わたしの本名を知りません。
当初は、年齢も2つばかりサバ読んでいました。
今は、実年齢41だということは言ってあります。
偽名のまま、嘘の履歴のまま、この11年を共に暮らした男性です。

工事現場で肉体労働している50歳の男性です。
真面目だと思います。
給料は安いけど、彼もスネに傷持つ身らしくローンが組めないブラック組です。
わたしは自分のそういう過去も全て嘘で固めているので
以前、わたしの名義でローンを組んでもらえないか、というような空気の時がありましたが
うまく逃げました。
わたしは既にブラックだから。

でもそのおかげで、
金利のつくお金をこの11年、借りることもなく
あるだけのお金の中で今はどうにか暮らしています。
案外、幸せなのかもしれません。

彼には近所に親もきょうだいも居るので
彼らには偽名のままでわたしは呼ばれています。
この11年、本名で誰からも呼ばれたことがありません。
一人のときたまにそっと小さな声で自分のなまえをつぶやいてみることがあります。
でもなんだかそれは
他人の名前のようでしっくりきません。


この11年間、身分証明のうるさくない職場でパートも経験しましたが
現在、わたしは無職です。
ここ2年ばかり、ひきこもり的な生き方をしています。
日中、人ごみが怖く、ジンマシンが出てしまいます。
でも通院もできず(保険証がないから)市販薬でごまかしています。
ネットで抗鬱剤を入手して飲んでいた時期もありました。
自殺したいというような衝動さえ無くしてしまうほど
何をするのにも倦怠感で、でくのぼうなのです。


後ろめたさはかなりあります。
以前は全くありませんでした。
なぜなら、バレそうになったらまたどこかに行けばいいという安易な考えができたから。
でも今はそれができないだけに、後ろめたさは常につきまといます。

最低限の家事をして1日をただ費やしています。
食っちゃ寝ているので体重は恐ろしく増えました。
歯医者にも通っていないので歯っカケです。
こんな41女、ゴミにもなりません。
再生価値0ということです。

これがわたしの現在の概要です。
[PR]
by 001_Thief | 2004-07-15 22:40
blogを借りました

どうしようもない人間です。
20代後半までは何かに息詰まると、高層ビルから飛び降り自殺でもしてしまおう、と
マジで考えていました。
だから何事にも不真面目で常に逃げ道を作って生きていました。

最後に母に妹に会ったのは11年前の正月。
それ以降、一度だけ3月に郷里に行ったきり、
この10年以上、生存不明のままで音沙汰してません。

一昨年、このネットで偶然に昔19の頃にわずか数ヶ月同棲してた男性を見つけました。
次いで、28の時に今思えば最後の恋だった男性をも見つけました。
ネットってすごい・・と感じつつ
わたしの本名を検索に入れてもみましたが反応は0。

妹の名(姓が替わっているかもしれないのに)を入れてみたら数十件のヒット。
彼女の経歴を鑑みて絞り込んだけど確実な情報までには届きませんでした。

なんていうか、
自分、がどこにもない、そんな疎外感をこの11年を経てようやく感じています。
そういう部分、鈍いのかもしれません。

blogは今、人気だから
登録すれば検索に載るだろう・・・
この11年、ひた隠してきたことを全部、こちらに記していきます。
自分の居場所をここに記すことによって、どんどん狭めていくつもりです。
自分を追い込む、という意味合いよりは
むしろわたしはまだ甘えているのかもしれません。
見つけてほしい・・・

そんな腐った甘えがあることも認めます。

そしてこちらに記すことがもう全てなくなったとき
わたしは生まれたあの地に一度、帰りたい。
許してもらえるはずもないんだけど、
あの地をもう一度・・・
[PR]
by 001_Thief | 2004-07-15 22:39 | @当blogの趣旨