ここも放置していたw
仕事という名を借りて、「自分」以外の「他人」をウォッチングする癖がついた。
現在わたしは某劇団関係の長とタッグを組みつつ
いわゆる芸能関係の裏方のような仕事をぼちぼちしています。
買い物依存からsex依存、行き着くところは高金利ローン会社。いわゆるサラ金。
今ある闇キン(090金融)は当時なかったから
もしその当時それがあったのなら
わたしの人生、破滅していただろう。
おそらく自殺していたに違いない。
そういう自分を変えたくて、知り合った女性がたまたまオウム。
当時まだサリン事件等も起きぬ前の頃の話で
でも山梨のサティアンにはよく出入りしていた。
在家出家したのだ。
麻原とわたしは直面したことはないが、幹部の人間(上祐氏)らとは行動を共にしていた。
わたしは資金稼ぎ団に配属されたのだ。
「自分が今まで依存症という病でしてきた借金は全て2005年には全世界はアルマゲドンに遭い
消え失せてしまう、けれど、オウム信者であれば生き残れる。
従って自分の作った借金はチャラとなり、
オウムに対して新たに借金でもなんでもしてお布施をすればするほど
あなたは救われる」
そういう無茶苦茶な真理なるものを麻酔でもかけられたかのように吸い込まれるように信じた。
そしてわたしはお布施の為に友から金を騙し取り
当時数件で勤めていた夜の店でも客から金を騙し取り
せっせとそれらを自分のローン返済もせずにオウムに運んだ。
蟻のようだった。
そんな中で唯一わたしは恋をした。
ある川沿いのスナックで素人を装ってバイトしていた際に、すでにその店の馴染みの客だった。
当時わたしは28歳
彼が38歳
その男からは騙し取ることはできなかった。
本気で好きになってしまったから。
相手は妻子もちだし、当時わたしも二度目の結婚生活を送っていた頃だったから
当時のわたしの旦那にはかなり不幸な思いをさせた。
多額の借金を残し
妻がバイト勤めをし出した先のスナックで男とできていたことなんて努々、思わなかったことだろう。
最終的に借金はばれた。
でも、その男性とのことだけはばれずにひた隠して済んだ。
巻き込むべきではない男だと当時の馬鹿なわたしの脳でもその程度のセーブはきいていた。
むしろ、進んで(たぶん生まれて初めてだろう)わたしから彼の勤務先に電話を掛け
「ふたりで話がしたい」と誘った。
でも好き過ぎてまともに向かい合って話ができなかった。
相手はわたしが何を求めているのか判っていたのか否か、それは今でも解らない。
ただ勤務先のスナックを出てから彼の行きつけであったある居酒屋に連れて行かれた。
それがなんとなくのきっかけだった。
今で言う「アフター」というやつなのかもしれない。
けれどその数日後、わたしは彼とラブホテルにいた。
いつも電話で誘い出すのはわたしだった。
元々、呑み歩く習性のあった男性だったようだったので
会うのは当然、彼の仕事終わり、そして明日が休みという夜10時過ぎだった。
そこから朝まで飲み歩き、その延長でラブホへ・・・。
今思うと彼は普通のサラリーマンだったし、
よく金がつづいたよな、とおもう。(苦笑)
オウムにお布施活動をしていながらもわたしは彼と会うとき
呑み代にしてもホテル代にしてもごくたまにだが自然と出せた。
「お布施お布施」とけつを叩かれている現状の中でわたしはその彼だけに心の縁を求めていた。
だからそのときだけは「自分」でいられた。
でもうまく会話ができなくてよく手紙を書いた。
器用に生きられなかった。
かわいい便箋に書いてピンクの封筒にでも入れればまたそのベクトルはちがった方向に往ったのかもしれないが
当時のわたしは、あえてなぜか、茶封筒にそっけない便箋で縦書きに書いた言葉をつづった。
手書きで綴った。
あんなものもらっても相手は困っただろうに・・・(苦笑
「書く」ことでどうにか自分を保っていたかった。
せもその中身は、いわゆるわたしの夢物語だったり空想だったり、また本音も一部はあったが
どう自分を形成していっていいのか当時28のわたしには解らなかったのだ。
2日12時間勤務して2日休日、という彼の勤務体系に合わせるかのように
わたしはオウムとも繋がりを絶てぬまま、彼との時間に救いを求めていた。
オウムに対する裏切り行為だった。
でも後悔はしていない。
その彼におしえられたことがいっぱいあったから。
台風で倒れていた自転車をわたしがええかっこしいで起こそうとしているのを見て
「自転車だって休みたいときがあるだろう」と
再び強風で倒れてひしゃげるタイヤを思い図ってかのやさしい表現。
一度だけ、某呑み屋でそこのマスター(ママ?)に「この人は僕の彼女だから」と
酔った勢いでかお世辞なのか言ってくれたその言葉にわたしはトイレでひとり、涙した。
お香が焚いてある洗面所で、わたしはその夜の香りが忘れられない。
でも、普通を装っていた。
クールな女を演じていたのだ。
ほんとは粘着質でわがままで泣き虫でどうしようもない女なのにね・・・
そんな彼の夢を今でもみます。
今わたしにはつれあいがいるのに、その隣で寝ていて夢をみてしまう。
あの頃のわたしがあったから、今のわたしがあるんだな、と云えば自己を正当化できるけれど
それによって失ったものは大きすぎた。
傷つけた人も多すぎた。
追われるように町を出て行き着いた先がなんと、赤坂の高級クラブだった。
政治家や芸能人が出入りする一見さんお断りの高級店だった。
なんでなんだろ。
街で途方に暮れて歩いていたわたし。化粧もしないでスッピンで膝の抜けたようなGパンはいてたのに。
スカウトマンに声掛けられて、その晩のうちに美容院に連れて行かれ
着物を着せられた。
わたしには水商売が合っていたのだろう。
水を得た魚の如く当時すでに30歳にもなっていたのに
赤坂で1.2に入るクラブでナンバー1になっていった。
オウムから逃れ
過去も捨て
好きだった男とも切れ
もうわたしには失うものは何もなかったのだ。
でもそこからわらしの人生の第二章は始まった。
とある舞台人と知り会い、自然とそっち関係にのめりこんでいった。
一時、本気話でエイベックスからの歌手デビュー話もあった。
歌はそこそこ好きだったし、どこの店でも褒められた。
でも当時のわたしは住民票も移せない行方不明者であったから
そういう具体的な話の段階になると逃げてしまっていた。
歌手になれてたのかな・・(笑)
んなこたぁ、ないだろうな・・・笑笑
今わたしは賃貸のアパートに肉体労働をしている男性と共に暮らしている。
実は一昨年、その彼が事業を起こし、家も建てたのだが
なぜかわたしは狭い2間のアパートがおちつくので
そこを未だに賃貸しつつ、事務所と称してフリーライターを商いとしている。
ドラマや舞台の脚本を書くのだ。
赤坂で知り合った舞台人とは今も交友があるが男女の関係は、ない。
求められたが未だ以前のサラリーマンが忘れられずにホテルには行けなかった。
しかし
その舞台人の彼はわたしに翌日、連絡をくれたのだ。
「仕事、いっしょにしないか?」と。
たかが赤坂のクラブのねーちゃんにそんなこと、なんて無謀な話だろう。
でも乗った。
乗るか反るかの時期だったから。
行方不明者だということもその舞台人には告げた。
当時彼と知り合った店で名乗っていた源氏名・kaoruという名でゴーストライターを受けたり、
歌詞も描いた。
近年では2時間ドラマ程度の脚本の依頼も来るようになった。
CMの仕事もしたし
雑誌にコラムを書いたりもしていた。
ある意味とてもわたしは恵まれていた。
そんなわたしが43歳の頃、鬱病を再発祥した。
書けなくなった。
本が書けないのだ。
食うには、つれあいの収入があるから困ることはないが、精神は追い詰められていた。
そこで、引きこもる生活に入る。
精神科を転々とし、胃潰瘍にもなり、円形脱毛症にもなった。
週のうち、木曜と土日を除いては必ずどこかしらのクリニックに実費でかかっていた。
だって保険証もないし。
そんなわたしが今年の1月、実家に電話をした。16年ぶりのことだった。
何があったわけでもないのに魔がさしたのだ。
なんでだろ。
潮がひくようなそんなかんじ。
知らない女の声が出て父は再婚したと知った。
同じく母も父と離婚後、別の男性と再婚していた。
今は父、母、母のつれあいである新しい父、そして5歳違いの妹とマメに連絡を取れるそんな環境になった。
不眠症で精神科から睡眠薬を大量に出してもらっても眠れず
幻聴や揺れてもいないのに地面が揺れている感覚に陥り、外出先でよく過呼吸発作で救急車に乗った。
そんなわたしが今、戸籍を復活させることができ
本名でこの地で生きていくことが許されていいのだろうか・・・
未だ答は出ていない。
まだまだこれからだ。わたしは。
しばしブランクがあった本格的な本の仕事、今回題材にわたしの半生を切り売りしようとおもっている。
その件でかつての男性に長い手紙を書いた。
サラリーマンを辞め、飲食店を経営していると知り
検索サイトでそちらの所番地を知った。
実は、昨夜その店に電話をかけてみた。
なつかしい声がした。
でもわたし。
「まちがえました」と切ってしまった。
その後眠剤を増量すれども安定剤を増量すれども眠れず・・・。
とうとう長い手紙を書いてしまった。
でもポストに投函するか否かは未だわからない。
迷ってる。
昔は我が心に封印すべきなのか。
出して楽になれるのだろうか。
逆に虚しくなるのではなかろうか。
相手に対しての配慮よりも実は我が身の保身におびえている。
だめなわたしだ。
ほんとに、だめなわたしだぁ・・・。