ネット上での友人関係なんですが、
メンヘル系サイト主催者であるある知人のHP-top頁を見たら、「管理人入院の為更新できません」
とあった。
実はその前日、その人と数度のメールのやりとりがあったものだから、
彼がどのようなストレスを抱えたであろうか、ぐらいの予想はついていたのだ。
一時、本気で心配した。
親元に住んでいるようなので、具合が悪くなってもひとりで倒れていることはなかろう、と、
そう自分に言い聞かせていた。
しかし入院してしまったであろうその彼だが、
HPのコンテンツ頁(top頁と同じレンタルサーバーのもの)は「入院します」告知が出た当日には
削除されずにそのままあったものが、
その翌日になり、top頁と同じ告知を出していた。
つまり、彼はPCでネットができる環境にいるわけだ。
精神科に緊急入院した患者の枕元に、病院側でPCを貸し出すわけがない。
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わたしは自分の過去を思い出していた。
体はすごく丈夫なほうではないけれど、ものすごく弱いわけでもなかったのだ。
だが、わたしは頻繁に、仮病をつかった。
怪我してもいない足や手に包帯を巻いて登校したり、眼帯をつけて登校した。
体育の授業はむろん見学してた。
「弱い」自分をアピールすることで、友人の関心をひきたかったのだ。
さもしい心だった。
そんな同情にでさえすがりたいほど、わたしは孤独だった。
でもそんなアピールをすればするほど、人はわたしから離れて行き、気付けば本当にひとりだった。
いや、ともだち、と呼べる人はいたかもしれない。
でもその輪の中に自分は溶け込めず、いつも離れたところから見つめていた。
その時の自分が被害者的意識を持って。
今おもう。
わたしは被害者なんかじゃなかった。
被害者願望が強いだけのヒステリー症状だったのだ、と。
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入院してもいないのに、「入院した」と言いまわったりする知人を、わたしは微笑ましくおもう。
「あんた、ほんとは入院なんかしてないじゃないの、嘘はだめよ」
なんてことは言わずに
「退院した」とメールが届いたら、「おめでとう」と退院祝いをしてあげよう。
いいえ、
昨日までは実はわたし、この彼に対し、憤りを感じてました。
でも今日の自分の感覚は昨日のそれとはちょいと違う。なぜだろう・・わからない。